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光の探求から生まれた量子・量子の歴史

光の探求から生まれた量子・量子の歴史

「光とは何か。」という問いから光を探求していく過程で、「量子」という新しい概念が生まれました。
量子の性質を解き明かし、それを利用する量子論や量子力学が、あらゆる分野で社会を革新してきました。
今さらに飛躍的な革新の波が到来している量子。その歴史を見てみましょう。

量子の歴史

量子の誕生 ~光の研究からうまれた量子論~

「光とは何か」。「光は波なのか、粒なのか」。多くの科学者が議論を重ねていた1807年、ヤングの干渉実験により、光は波であると証明されました。しかしその後、1900年にプランクが光のエネルギーがとびとびになることを発見。1905年には、アインシュタインにより、光電効果を説明する「光量子仮説」が提唱されました。光は、波であると同時に粒の性質も持つ「光子(フォトン)」であると結論付けられました。同じころ、実験技術の進化とともに、電子や原子といった粒子にも、波の性質があることが発見されました。
1800年代の末ごろまでにはすでに、ニュートン力学やマクスウェルの電磁気学、熱力学や流体力学といった物理学は確立していました。これらの理論は完璧で、物理学にこれ以上の新しい進展はないと考えられていましたが、1900年ごろになって、原子や電子などミクロな世界の姿が少しずつ明らかになり始めると、黒体放射や光電効果といった、古典物理学の理論では説明できない現象が確認されました。物理学者たちは思いがけない矛盾に当惑しながらも、真実に向き合うことをあきらめませんでした。そして生まれたのが、それまでの理論とは全く異なる「量子」という概念だったのです。1900年代前半は、多くの科学者によって量子論が展開、さらに数式化された量子力学が目覚ましく進展していきました。
量子論、量子力学
の発展1900年ごろ

1900

マックス・プランク

量子仮説を提唱

黒体放射の壁の振動子のエネルギーはとびとびの値であると仮定し、黒体放射のグラフと見事に一致する数式を発表した。

1903

ロード・ケルビン / J.J. トムソン

レーズンパンモデルの原子模型

真空放電の実験結果から、原子は飛び出すことのできる電子とそれに電荷的に釣り合うプラスの「何か」で出来ていると考えた。

1904

長岡半太郎

土星モデルの原子模型

中心部にプラス電荷が集まり、その周囲を電子が周回しているモデル。中身がスカスカになってしまうことから、評判は悪かった。

1905

アルベルト・アインシュタイン

光量子仮説を提唱

光電効果(金属に光を照射すると電子が飛び出てくる現象)の理論として、光は粒子であると仮定することで説明した。

1911

アーネスト・ラザフォード

ラザフォードの原子模型

α線を金属箔に衝突させる散乱実験により、原子はほぼ空で中心に原子全体の10 万分の1 の大きさの陽子からなる「芯」があることが分かった。これを原子核と名付けた。

1913

ニールス・ボーア

ボーアの原子模型

ラザフォードの原子模型に「ボーアの量子条件」を持ち込み、電子はとびとびの許された軌道上のみに配置されると考えた。この軌道を主量子数nで表す。

1916

アルノルト・ゾンマーフェルト

ゾンマーフェルトの原子模型

ボーアの原子模型を拡張し、楕円軌道に対応するために方位量子数k を、軌道が向いている方向を示す磁気量子数m を導入することで、ゼーマン効果に対応した。

1923

ルイ・ド・ブロイ

物質波を提唱

波動と考えられていた光に粒子性があるのならば、粒子と考えられている電子などの物質にも波動性が伴うと考えた。この理論により、ボーアの量子条件が真実味を増すことになる。

アーサー・コンプトン

コンプトン効果の発見

光電効果の拡張実験。入射光のエネルギーを増していくと、金属から電子だけでなく低エネルギーの光も放出されることが分かった。これにより、光量子仮説が確かなものとなった。

1925

ヴェルナー・ハイゼンベルク

行列力学

運動量や位置などの物理量を行列を用いて表現し、ハイゼンベルクの運動方程式で量子論を数学的に記述した。行列力学が明らかにした物理量の非可換性から、量子力学の不確定性原理が浮き彫りになった。

1926

エルヴィン・シュレディンガー

シュレディンガー方程式

ド・ブロイが提唱した物質波の式を受け継ぎ、行列力学とは全く別の形で量子論を数式化した。シュレディンガー方程式の解は波動関数と呼ばれるが、その物理的な解釈が波紋を呼ぶことになる。

1927

ヴェルナー・ハイゼンベルク

不確定性原理

量子力学が支配するミクロな領域では、粒子の位置x と運動量p を同時に正確に決定することは出来ず、両者には「Δx・Δp≧h2」(hはプランク定数)という不確定性関係が成り立つ。ボーアはこれを「相補性」という言葉で説明した。

1935

アインシュタイン / ポドルスキー / ローゼン

EPR 論文を発表

もつれ状態にある粒子A と粒子B の振る舞いについて思考実験を行い、量子論は完全な理論ではないということを主張した。ミクロの世界が確率解釈に見えるのは未発見の変数があるからであるという「隠れた変数理論」を示唆した。

第1次量子技術革命(量子1.0)~半導体技術が高度情報化社会を支える~

1940年ごろには、量子力学に基づいた電子の制御が確立しました。光量子仮説、波動関数、不確定性原理など量子力学を利用した半導体技術が、コンピュータや通信機器、医療、工業、農業や教育などあらゆる場面で、私たちの暮らしを支えるまでになりました。
量子1.01940年ごろ

1947

J. バーディーン/ W. ブラッテン

点接触型トランジスタの発見

AT&T ベル研究所のJ. バーディーンとW. ブラッテンが、最初のトランジスタである点接触型トランジスタを発見した。

1948

ウィリアム・ショックレー

接合型トランジスタの発見

W. ショックレーらはさらに研究を重ね、機械的に安定した接合型トランジスタの発明を発表。

1955

SONY(日本)

トランジスタラジオTR-55 発売

それまで主流であった真空管素子を半導体素子であるトランジスタに代えることで、小型・軽量・低消費電力化したラジオを開発した。

1957

江崎玲於奈

エサキダイオードの発明

2 種類の半導体の間の絶縁層を10 nm 以下にした構造を人工的につくり、半導体内での電子の「トンネル効果」を発見した。

1958

ジャック・キルビー(T.I. 社)

集積回路(IC)の発明

"tyranny of numbers" と呼ばれる回路設計上の問題に取り組み、半導体の上にひとまとめに回路を形成するという解決策を導き出した。

1964

ジョン・スチュワート・ベル

ベルの不等式を導出

もつれた2 つの粒子が、観測する前から予め決まった量子状態を持つと仮定した場合に満たす不等式。この不等式はその後多くの物理学者によって、多くのバリエーションが展開する。

1977

Apple(アメリカ)

世界初のパソコンApple Ⅱを発売

一般に世界で最初のパーソナルコンピュータと言われるAltair 8800 は自らを“ミニコンピュータ“と謳ったのに対し、アップル社のS. ジョブズはApple Ⅱを“パーソナルコンピュータ“と命名し、その名称は定着した。

1982

アラン・アスペ ら

ベルの不等式の破れを実験的に示す

ベルの不等式の一種であるCHSH 不等式が破られている(成立しない)ことを、共同実験者とともに示した。これより、EPR パラドックスは否定され量子力学の正しさが証明された。

1989

舛岡富士雄(東芝)

NAND 型フラッシュメモリの発明

1991 年には東芝が世界で初めてNAND フラッシュメモリを製品化した。

1993

赤崎勇、天野浩、中村修二

青色発光ダイオードの発明と実用化

これにより、光の三原色の発光素子が揃った。RGB によるフルカラー表示が実現し、最新のDVD レコーダーなどになくてはならないものとなった。

1995

Microsoft(アメリカ)

Windows 95 発売

業務用だけでなく一般家庭にも爆発的に普及した画期的なオペレーティングシステム(OS)。インターネット時代の幕開けを告げる出来事となった。

2007

Apple(アメリカ)

iPhone を発表

携帯電話を取り巻く世界を一変させた画期的な製品。これを機にスマートフォンが急速に普及した。

第2次量子技術革命(量子2.0)~量子状態の精密制御により新たな扉が開く~

量子状態を精密に制御し、量子もつれなどの量子特有の性質を最大限に活かす「量子技術2.0」と呼ばれる新技術の研究開発が世界中で加速しています。その代表例は、量子コンピューター、量子ネットワーク、量子センサなどです。これらが実現すると、私たちの未来の社会はさらに大きく様変わりすると言われます。それ自身も量子の性質をもつ光ですが、量子状態を精密制御するための道具としても利用され、その可能性は、第2次量子技術革命の鍵をにぎっています。
量子2.02010年ごろ

2011

D-Wave Systems(カナダ)

世界初の商用量子コンピュータD-Wave One を発表

それまで研究されてきた「量子ゲート方式」とは全く異なる方式である「量子アニーリング」方式を採用した量子コンピュータ。この発表は量子コンピュータが注目を集めるきっかけともなった。

2017

IBM(アメリカ)

16 量子ビット・プロセッサを開発

商用利用を想定したIBM 社初の汎用量子コンピュータ「IBM Q」に向け、より複雑な処理を可能とする16 量子ビットプロセッサを発表した。これによりスパコンをはるかにしのぐ演算能力を実現できる算段が立ち、米IT 企業が相次ぎ量子ゲート方式の開発競争に乗り出した。

2019

Google(アメリカ)

「量子超越性」に向けた論争

自社開発した53 量子ビット量子コンピュータを用い、最先端のスパコンで約1 万年かかる計算を約3 分で解き、「量子超越性」の達成を発表した。これに対しIBM 社は「既存のコンピュータでも2.5 日で計算可能であり、一部の主張は過剰である」と反論を行い、大きな論争を呼んだ。

2021

東京大学, IBM(アメリカ)

日本初のゲート型商用量子コンピュータ

27 量子ビットの商用量子コンピュータが国内初の稼働を開始した。実機が国内に設置された意味は大きく、日本の研究者が利用できる時間が増えたことで量子技術の研究開発が加速するきっかけとなった。

2022

アラン・アスペ ら

「量子もつれ」の研究者3 名がノーベル物理学賞を受賞

量子力学の分野において、「量子もつれ」という特殊な現象が起きることを理論や実験を通して示し、量子情報科学という新しい分野の開拓につながる大きな貢献をしたとして、フランスの大学の研究者など3 人が選ばれた。

2023

理化学研究所

国産の量子コンピュータ初号機を開発

64 量子ビットを持つ初の国産量子コンピュータが稼働した。量子ビット数は世界のトップランナーと比べると少ないものの、今後集積化を進め、最終ゴールである「FTQC(エラー耐性量子コンピュータ)」に繋げることを重視して設計されている。
量子の世界のサイズ 
~量子力学が支配するミクロな世界~
量子の世界とはどれくらいミクロな世界なのでしょうか?
その小ささを理解するため、1辺が1 mの立方体で考えてみましょう。
立方体の1辺の1 mを、半分の50 cmにしてみたとき、体積は8分の1になります。これを繰り返していくと・・・
11 回8 等分したとき、シャープペンシルの芯の直径と同程度、1 辺が約0.49 mmになります。
15回8等分したとき、スギ花粉の直径と同程度、1 辺が約0.03 mmになります。
さらに33 回8 等分したとき、原子1 個のサイズ0.12 nm※ (0.00000012 mm)に到達します。
このあたりが、「量子」の世界。
0.1 nm程度の小さな世界では、驚くべき量子現象が顕著に現れます。私たちの生活する世界での物理学の通常のルールや直感が通用しなくなるのです。原子や、電子、光子は、波の性質と粒の性質を同時に持ったり(二重性)、位置と運動量を同時に決められないといった現象(不確定性)、が起こっているのです。信じがたいけれど、これが自然界で起こっている真実です。

※nm (ナノメートル)は、100万分の1ミリメートル
量子のふしぎ
「粒子と波動の二重性」を
確かめる実験

量子が持つふしぎな性質、その一つである、波と粒の二重性。それを光を使った実験で確かめることができます。光子が1つしかない状態(=粒として数えられる状態)にしたうえで、1807年にヤングが行った干渉実験を行います。二重スリットを通ったあとの光子1粒の位置を、高感度カメラで撮って表示してみると・・・。粒の状態と言っていい光の1粒が、波であることを示す「干渉縞」を作り出す。その様子が確認できました。