光の探求から生まれた量子・量子の歴史
「光とは何か。」という問いから光を探求していく過程で、「量子」という新しい概念が生まれました。
量子の性質を解き明かし、それを利用する量子論や量子力学が、あらゆる分野で社会を革新してきました。
今さらに飛躍的な革新の波が到来している量子。その歴史を見てみましょう。
量子の歴史
量子の誕生 ~光の研究からうまれた量子論~
1800年代の末ごろまでにはすでに、ニュートン力学やマクスウェルの電磁気学、熱力学や流体力学といった物理学は確立していました。これらの理論は完璧で、物理学にこれ以上の新しい進展はないと考えられていましたが、1900年ごろになって、原子や電子などミクロな世界の姿が少しずつ明らかになり始めると、黒体放射や光電効果といった、古典物理学の理論では説明できない現象が確認されました。物理学者たちは思いがけない矛盾に当惑しながらも、真実に向き合うことをあきらめませんでした。そして生まれたのが、それまでの理論とは全く異なる「量子」という概念だったのです。1900年代前半は、多くの科学者によって量子論が展開、さらに数式化された量子力学が目覚ましく進展していきました。
の発展1900年ごろ~
1900年
量子仮説を提唱
黒体放射の壁の振動子のエネルギーはとびとびの値であると仮定し、黒体放射のグラフと見事に一致する数式を発表した。
1903年
レーズンパンモデルの原子模型
真空放電の実験結果から、原子は飛び出すことのできる電子とそれに電荷的に釣り合うプラスの「何か」で出来ていると考えた。1904年
土星モデルの原子模型
中心部にプラス電荷が集まり、その周囲を電子が周回しているモデル。中身がスカスカになってしまうことから、評判は悪かった。1905年
光量子仮説を提唱
光電効果(金属に光を照射すると電子が飛び出てくる現象)の理論として、光は粒子であると仮定することで説明した。
1911年
ラザフォードの原子模型
α線を金属箔に衝突させる散乱実験により、原子はほぼ空で中心に原子全体の10 万分の1 の大きさの陽子からなる「芯」があることが分かった。これを原子核と名付けた。1913年
ボーアの原子模型
ラザフォードの原子模型に「ボーアの量子条件」を持ち込み、電子はとびとびの許された軌道上のみに配置されると考えた。この軌道を主量子数nで表す。1916年
ゾンマーフェルトの原子模型
ボーアの原子模型を拡張し、楕円軌道に対応するために方位量子数k を、軌道が向いている方向を示す磁気量子数m を導入することで、ゼーマン効果に対応した。1923年
物質波を提唱
波動と考えられていた光に粒子性があるのならば、粒子と考えられている電子などの物質にも波動性が伴うと考えた。この理論により、ボーアの量子条件が真実味を増すことになる。
アーサー・コンプトンコンプトン効果の発見
光電効果の拡張実験。入射光のエネルギーを増していくと、金属から電子だけでなく低エネルギーの光も放出されることが分かった。これにより、光量子仮説が確かなものとなった。
1925年
行列力学
運動量や位置などの物理量を行列を用いて表現し、ハイゼンベルクの運動方程式で量子論を数学的に記述した。行列力学が明らかにした物理量の非可換性から、量子力学の不確定性原理が浮き彫りになった。1926年
シュレディンガー方程式
ド・ブロイが提唱した物質波の式を受け継ぎ、行列力学とは全く別の形で量子論を数式化した。シュレディンガー方程式の解は波動関数と呼ばれるが、その物理的な解釈が波紋を呼ぶことになる。1927年
不確定性原理
量子力学が支配するミクロな領域では、粒子の位置x と運動量p を同時に正確に決定することは出来ず、両者には「Δx・Δp≧h2」(hはプランク定数)という不確定性関係が成り立つ。ボーアはこれを「相補性」という言葉で説明した。1935年
EPR 論文を発表
もつれ状態にある粒子A と粒子B の振る舞いについて思考実験を行い、量子論は完全な理論ではないということを主張した。ミクロの世界が確率解釈に見えるのは未発見の変数があるからであるという「隠れた変数理論」を示唆した。第1次量子技術革命(量子1.0)~半導体技術が高度情報化社会を支える~
1947年
点接触型トランジスタの発見
AT&T ベル研究所のJ. バーディーンとW. ブラッテンが、最初のトランジスタである点接触型トランジスタを発見した。1948年
接合型トランジスタの発見
W. ショックレーらはさらに研究を重ね、機械的に安定した接合型トランジスタの発明を発表。1955年
トランジスタラジオTR-55 発売
1957年
エサキダイオードの発明
2 種類の半導体の間の絶縁層を10 nm 以下にした構造を人工的につくり、半導体内での電子の「トンネル効果」を発見した。1958年
集積回路(IC)の発明
"tyranny of numbers" と呼ばれる回路設計上の問題に取り組み、半導体の上にひとまとめに回路を形成するという解決策を導き出した。1964年
ベルの不等式を導出
もつれた2 つの粒子が、観測する前から予め決まった量子状態を持つと仮定した場合に満たす不等式。この不等式はその後多くの物理学者によって、多くのバリエーションが展開する。1977年
世界初のパソコンApple Ⅱを発売
一般に世界で最初のパーソナルコンピュータと言われるAltair 8800 は自らを“ミニコンピュータ“と謳ったのに対し、アップル社のS. ジョブズはApple Ⅱを“パーソナルコンピュータ“と命名し、その名称は定着した。1982年
ベルの不等式の破れを実験的に示す
ベルの不等式の一種であるCHSH 不等式が破られている(成立しない)ことを、共同実験者とともに示した。これより、EPR パラドックスは否定され量子力学の正しさが証明された。1989年
NAND 型フラッシュメモリの発明
1991 年には東芝が世界で初めてNAND フラッシュメモリを製品化した。1993年
青色発光ダイオードの発明と実用化
1995年
Windows 95 発売
業務用だけでなく一般家庭にも爆発的に普及した画期的なオペレーティングシステム(OS)。インターネット時代の幕開けを告げる出来事となった。2007年
iPhone を発表
第2次量子技術革命(量子2.0)~量子状態の精密制御により新たな扉が開く~
2011年
世界初の商用量子コンピュータD-Wave One を発表
2017年
16 量子ビット・プロセッサを開発
2019年
「量子超越性」に向けた論争
自社開発した53 量子ビット量子コンピュータを用い、最先端のスパコンで約1 万年かかる計算を約3 分で解き、「量子超越性」の達成を発表した。これに対しIBM 社は「既存のコンピュータでも2.5 日で計算可能であり、一部の主張は過剰である」と反論を行い、大きな論争を呼んだ。2021年
日本初のゲート型商用量子コンピュータ
27 量子ビットの商用量子コンピュータが国内初の稼働を開始した。実機が国内に設置された意味は大きく、日本の研究者が利用できる時間が増えたことで量子技術の研究開発が加速するきっかけとなった。2022年
「量子もつれ」の研究者3 名がノーベル物理学賞を受賞
量子力学の分野において、「量子もつれ」という特殊な現象が起きることを理論や実験を通して示し、量子情報科学という新しい分野の開拓につながる大きな貢献をしたとして、フランスの大学の研究者など3 人が選ばれた。2023年
国産の量子コンピュータ初号機を開発
その小ささを理解するため、1辺が1 mの立方体で考えてみましょう。
立方体の1辺の1 mを、半分の50 cmにしてみたとき、体積は8分の1になります。これを繰り返していくと・・・
11 回8 等分したとき、シャープペンシルの芯の直径と同程度、1 辺が約0.49 mmになります。
15回8等分したとき、スギ花粉の直径と同程度、1 辺が約0.03 mmになります。
さらに33 回8 等分したとき、原子1 個のサイズ0.12 nm※ (0.00000012 mm)に到達します。
このあたりが、「量子」の世界。
0.1 nm程度の小さな世界では、驚くべき量子現象が顕著に現れます。私たちの生活する世界での物理学の通常のルールや直感が通用しなくなるのです。原子や、電子、光子は、波の性質と粒の性質を同時に持ったり(二重性)、位置と運動量を同時に決められないといった現象(不確定性)、が起こっているのです。信じがたいけれど、これが自然界で起こっている真実です。
※nm (ナノメートル)は、100万分の1ミリメートル
「粒子と波動の二重性」を
確かめる実験
量子が持つふしぎな性質、その一つである、波と粒の二重性。それを光を使った実験で確かめることができます。光子が1つしかない状態(=粒として数えられる状態)にしたうえで、1807年にヤングが行った干渉実験を行います。二重スリットを通ったあとの光子1粒の位置を、高感度カメラで撮って表示してみると・・・。粒の状態と言っていい光の1粒が、波であることを示す「干渉縞」を作り出す。その様子が確認できました。