Vol.07 塩澤 眞人
スーパーカミオカンデで
「奇跡」の瞬間に立ち会い、
ハイパーカミオカンデで
世界に「発見」の場を提供する
東京大学宇宙線研究所 神岡宇宙素粒子研究施設 施設長
教授
記事掲載日:2022年11月14日
所属先・肩書その他の情報は当時のものです。
人生を決めてしまった世紀の大発見
「大学院に入って4年目にスーパーカミオカンデができて、それからずっとこの施設に関わっています。かれこれ26年。で、スーパーカミオカンデの運転が始まって1年ぐらいで陽子崩壊のデータが出た。見つかった!と言って、すごくエキサイトしていました」
陽子崩壊とは物質をかたちづくる基本粒子、陽子が崩壊してもっと軽い粒子になること。物質に働く3つの力(弱い力、電磁気力、強い力)をまとめて説明する大統一理論が予言している。
「その1年後にはニュートリノ振動も発見されて、陽子崩壊とニュートリノ振動の解析を同時にやっていたんです。すごかったですね。何が起きているんだろう、という…」
ところが、その後、発見された「陽子崩壊」を詳細に解析すると、「陽子崩壊」ではなかったことが判明する。
「このイメージ図にあるように、陽子が壊れると、より軽い粒子が1,2,3と3つ飛び出てきます。で、各々が水中を高速で走ってチェレンコフリングという光を出す。あの時、確かに陽子崩壊と矛盾しないリングが見えた。でもニュートリノが水の分子にぶつかっても陽子崩壊と同じようなリングが見えることがあるんです。実のところニュートリノのリングを陽子崩壊のリングと間違って判定してしまうことがまれにあるのです」
スーパーカミオカンデでは1日に8個くらいの大気ニュートリノが観測される。1年で3000個。その中に陽子崩壊が混ざっている可能性は大いにある。
「実は陽子崩壊で出てくる軽い素粒子には、いろいろなパターンがあります。私が見つけたのは、いちばん陽子崩壊っぽいパターンでした。多くの大統一理論が予言するパターンです。それは見ればわかります。その後、今に至るまで同じパターンのものは発見されていません」
「ある意味、僕の人生を狂わせた」と笑う塩澤先生。陽子崩壊という謎を追い掛ける日々が始まっていた。
20年をかけたハイパーカミオカンデへの道
1996年に運転を開始してわずか数年で成果を上げたスーパーカミオカンデでは、はやくも1998年ごろには次の研究を考えようという議論が研究者の間で出始めた。「スーパーカミオカンデを大型化して、もっと感度を上げた実験をやりたい」と言い始めた研究者の一人が塩澤先生。その構想を実現するべく20年近くにわたり、さまざまな角度から活動を始める。
「実験装置を最適化したり、光センサーの高性能化を進めたり、国際協力を募ったり、予算をつけてもらうために国に進捗状況を説明しに行ったりしました。10年以上があっという間に過ぎて、そうこうしているうちに、アメリカでニュートリノ計画に予算がついたというニュースが聞こえてきました。2017年頃のことです。」
日本の研究に十分な予算がつかないままアメリカの研究が進めば、それまでニュートリノ研究でトップを走ってきたはずの日本がアメリカに後れをとる恐れがある。カミオカンデ、スーパーカミオカンデの発見をきっかけに2つのノーベル賞を日本にもたらした輝かしい実績が色あせてしまうかもしれない。
そんな瀬戸際で、やっとハイパーカミオカンデ計画に予算がつくことになった。
「ハイパーカミオカンデ計画に賛同してくれていた有力者の皆さんが強力に推してくれたのもありました。他国に先を越されたくないという思いも強かったでしょう。その時点で海外のメンバーも集めていましたので、予算がつかなければ、彼らがついてこないというギリギリのところでした。」
2020年2月、ハイパーカミオカンデ計画が正式にスタートし、世界最大の陽子崩壊・ニュートリノ実験装置の建設が始まった。国際共同プロジェクトとして世界20か国から約500名の研究者が協力し、2027年の実験開始を目指して進み始めた。
施設長と研究リーダーの二足のワラジをはく
2022年4月、3代目施設長の中畑雅行先生の後を継ぎ、4代目の施設長に就任。塩澤先生は、施設のマネジメントと研究リーダーの二足のワラジをはくことになった。まずは、どんな思いで施設長に就任したのかを聞いた。
「責任はあります。ここまで20年以上スーパーカミオカンデで成果を出してきて、予算もずっといただいて非常に幸運だった。そのうえで、次のハイパーカミオカンデを成功させなければいけない。そのために施設長としてやらなければいけないことがたくさんあります。」
スーパーカミオカンデにくらべてハイパーカミオカンデは予算規模も人の規模も拡大している。国内外からの研究者が現時点で約500名。この人たちを施設の「ユーザー」として受け入れ、研究環境を整えていかなければならない。
「我々の言葉で共同研究者と呼びます。この施設や宇宙線研究所本体を含めて、もともとが共同利用のための研究所なんです。実験装置を作って運転するのですが、それはユーザーの皆様のためなんです。」
こういう形をとるからこそ、皆で協力して大きな施設を作ることができる。それを共同利用する。したがって、共同利用がきちんとできるように、宿舎や食事を用意したり、安全管理をしっかり行ったりすることが、施設長の仕事のうちに入ってくる。施設を適切に運営し、ユーザーを満足させるうえで、万全を期したい仕事だ。
他方、塩澤先生は、国内外の研究者が500人規模で集まる研究グループの共同リーダーの一人でもある。こちらの仕事は、世界から研究者を招くという段階を超えて、次のステージに入っている。
「今は予算をとって装置を作るのが主軸になっています。それを日本だけでやるのではなくて、海外にいる関係者にも予算をとって装置を作って持ってきてもらうということをやらないといけない。ハイパーカミオカンデの建設スケジュールは決まっていますので、海外での予算取りや装置づくりもそれに合わせてやってもらわないと困るわけです。予算が取れなければ、どこに肩代わりしてもらうかも考えないといけない。」
インタビューに伺ったタイミングは、ちょうどそんな調整の真っ最中で、オンラインのミーティングが日々開かれていた。
ハイパーカミオカンデ計画には世界20か国以上の研究者たちが関わっている。その人たちが意見を交わしたり、合意に至ったりするためのミーティングというのはどんな雰囲気なのだろうか。
「我々のいる素粒子物理の実験の業界は、私が大学院生の頃から何も変わりません。一言でいうと、この業界の人はみんなライオンぽい。つまりケンカするのは平気なんです。」
塩澤先生が「ケンカ」というのは、オープンに意見を戦わせること。論理的に議論をして、いい結論に導こうという意識は全員に共通している。
「何と言うかな、変わり者が多いんですよ。面白いといえば面白い、みんなこだわりがあって、そのこだわりを素直に表現しながら意見を言い合う。他の世界の人が見たらびっくりするかもしれません。」
そして、最後は民主主義的に結論を導き出す。合意に到達しなければ、多数決ということもある。ただ、その結論が自分の意見と異なってもわだかまりを持つことはないという。
素粒子研究における日本の立ち位置
さて、ハイパーカミオカンデの建設が進む日本は、陽子崩壊やニュートリノといった素粒子研究といった分野でどういった立ち位置にあるのだろうか。
「確かに言えるのは、日本は、カミオカンデやスーパーカミオカンデで、この研究分野にいくつものブレークスルーをもたらしたということです。カミオカンデでは、世界で初めて超新星爆発によるニュートリノをとらえたことでニュートリノ天文学という新たな科学のフィールドが拓けました。スーパーカミオカンデでは、ニュートリノ振動の発見。それだけでは終わらず、その後にもたくさんの研究課題を生み出してきました。だから、この研究分野の未来を作ったとも言えます」
これは、日本だからできたことなのだろうか?
「恵まれた条件がそろっていたというのが大きいです。飛騨という強固な岩盤のある土地があって、スーパーカミオカンデを作ろうという場所には、すでに神岡鉱山の地下トンネルがあった。そのうえ、豊富な地下水があって、浜松ホトニクスの光センサーが用意できた。」
「僕から見れば、みんな奇跡」と繰り返す塩澤先生。実は奇跡はそれだけではなかった。
「高エネルギー加速器研究機構という研究所が300kmほど離れた場所にあって、そこで人工のニュートリノビームを作ってスーパーカミオカンデに向かって撃てた。それによりニュートリノ振動を検証することができたのです。」
ニュートリノ振動は300kmくらい離れたところから撃つと、一番発見しやすいという。偶然にもその条件が整ったからこそ、人工のニュートリノを使って世界で初めてニュートリノ振動を検証、確認できるという「奇跡」も手にすることができたわけだ。
2027年の稼働開始に向かって着々と準備が進むハイパーカミオカンデ。スーパーカミオカンデでは見つからなかった陽子崩壊の観測にも期待が持たれるが、それに対してはどのような思いで臨んでおられるのか。
「実は、今僕の頭には、ハイパーカミオカンデの装置を計画通りの性能とスケジュールで完成させるということしかないんです。でも、それで、陽子崩壊が本当に見つかるのかどうかはわからない。」
けれど「見つかると信じてやる」というのが、塩澤先生の強い信念のようだ。
複雑なものをシンプルに解き明かしたい
さて、いまや世界的なプロジェクトをリードする塩澤先生だが、子どもの頃はどんな夢を抱いていたのだろうか。
「あまり夢らしいものは持ってなかったですね。山とか川とかで遊んでいました。自然が好きで、釣りをやったり、クワガタを集めるのが大好きだったり。」
今でも車を運転していて、クワガタがいそうな場所を見つけると、車を停めて確かめに行ってしまうほどのクワガタ好き。一方で、複雑なものをシンプルな法則や数式で解き明かしたいという気持ちは持ち続けていた。
「相対性理論も量子論も勉強してみると複雑だし、素粒子もなんだかよくわからない。たとえば素粒子だと今は第1世代、第2世代、第3世代があると言われているんですね。でも各々は重さが違うだけで他の性質はそっくりのコピーみたいなものなんです。そうすると、根底には一つの理屈があって、それが3つに分かれたと考えた方が自然です。その一つの理屈を知りたいわけです。」
塩澤先生が陽子崩壊の研究に関わり続けるのも、同じ理由がある。陽子崩壊は大統一理論が予言する現象。「これは、あるでしょうと私は思うわけですよ」と塩澤先生。
最後に塩澤先生の座右の銘を聞いてみたが、残念ながら答えは「ない」。と言いつつもこんな話をしてくれた。
「私が高校生ぐらいのときに思っていたのは、“分からなければやってみる。やってみれば分かる”ということです。成功するかもしれないし、失敗するかもしれないけれど、とにかく何かが分かる。柔軟に生きて行こうという、それぐらいかな。」
そして、これからの時代を担う若者に向けてはこんなメッセージ。
「今の若い人たちは、簡単にスマホも手に入るし、僕らの世代と比べて幸せが簡単に手に入ると思うんです。でも、そんななかでもやっぱり広い視野を持って、好きなもの、楽しいものをいっぱい見つけてもらえるといいんじゃないかな。できれば、そういったものの1つに取り組めるのなら、その人の仕事になるかもしれないし、趣味になるかもしれないですから。」
20歳の頃、ニュートリノに出会い、日本の素粒子研究の第一線に関わり続けてきた塩澤先生は、実に自然体で仕事や人生と向き合っていることが伝わってきた。何か一つ夢中になれることを。手軽な幸せがあふれている現在でも、ふと気づいた“分からないこと”に取り組んで、楽しんでみる。そこから人生は新しい姿を見せてくれるかもしれない。
インタビュー番外編
陽子崩壊って私の体でも起こるの?
私たちの体を形づくる原子の中心にある原子核。この原子核は陽子と中性子とできていて、陽子には寿命があり、いつかすべての物質は崩壊してしまう――これが、大統一理論が予言する「陽子崩壊」です。ということは、私たちの体も物質でできているわけですから、陽子崩壊が起こるのでしょうか。塩澤先生に聞いてみました。
「私たちの体でも陽子崩壊は起こります。でも、仮に起こったとしても本人は何も感じませんし、体にも何も起こりません。私たちの実験では水を使って、陽子崩壊したときに発生する光をつかまえます。それで陽子崩壊があったという事実を後から知るわけです。ですが、私たちの体は透明ではないので、仮に陽子崩壊の光が出たとしても、外には出てきません。それにとても小さな現象なので、本人も何も感じないのです」
大統一理論や陽子崩壊というと、私たちの日常からかけ離れた話に聞こえます。けれど、自分の体の中でも起こっていると考えると、ぐっと身近な話題になってきます。サイエンスは実は身近なものに興味を持つことから始まるのかもしれません。「分からない」ことを見つけたら、取り組んでみる。時にはスマホをわきに置いて、身の回りの不思議を探してみるのも楽しいかもしれませんね。