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Vol.09 竹内 繁樹

ふしぎなご縁で紡がれた
量子もつれの研究とその未来

竹内 繁樹 Shigeki TAKEUCHI

京都大学大学院工学研究科
附属光量子センシング教育研究センター
センター長
電子工学専攻 教授
博士(理学)

プロフィール 京都大学大学院理学研究科を修了後、三菱電機中央研究所の研究員となり、1995年には新技術事業団(現JST)さきがけ研究に採択。1997年より1年間、スタンフォード大学客員研究員を務めたのち、1999年に北海道大学電子科学研究所講師となる。2007年北海道大学電子科学研究所教授、2014年より京都大学大学院工学研究科教授(現職)。高校時代に興味をもった量子の世界に一貫して関わり、現在に至る。

記事掲載日:2025年6月23日 
所属先・肩書その他の情報は当時のものです。

2025年は量子力学誕生から100年とされ、国際量子科学技術年と定められている。これを記念して、大阪・関西万博会場では、企画展「エンタングル・モーメント-­­­­­[量子・海・宇宙]×芸術」が開催される(2025年8月14日~20日、詳細は公式ウェブサイトでご確認ください)。エンタングルとは<量子もつれ>のことだ。この展示では、量子というミクロの世界から深海や地球環境、そして広大な宇宙の秘密にいたるまで、科学・技術・芸術の「エンタングル=もつれ合う」展示で紹介する。

「量子もつれ光を実際に見たことがある人は、量子技術の研究者でも一部しかいない」と言われるほどの希少な機会。その展示の企画に参加している京都大学大学院の竹内繁樹先生に、私たちの既成概念を超える量子の世界との関わりを聞いた。

自然と科学の本に親しんだ幼少時代と量子との出会い

量子コンピュータという不思議な世界にどのように踏み込むことになったのか。まずは竹内先生の幼少の頃の話から聞いてみよう。

「体が大きくて活発だったのですが、運動は得意なほうではなかったような気がします。保育園の庭の隅で虫を探したりするのが好きだったようです。小学校に入っても、例えば池の中に花をつける藻があって、その藻を引っ張るときれいに花が閉じて、花の中に水が入らないような仕組みになっている、そういう不思議な仕組みを見つけるのが好きでしたね」

大阪市内の都会で育ちつつも、緑地公園に両親が借りていた市民菜園での畑仕事や、池での釣りなど、自然に親しむ機会も得られた子供時代。科学への興味はそのあたりから生まれていたらしい。

「大きなきっかけの一つは、両親の知人の大学生の方から、『学研まんが ひみつシリーズ』を3冊プレゼントしてもらったのです。マンガなのに内容は高度で、〈太陽と地球の距離はどのくらいか〉とか〈太陽が輝くのは、太陽のなかで水素の核融合が起こっているから〉とかいうことが書いてあったんですよね。非常に興味をもちました」

小学校高学年になると科学新書シリーズとして有名なブルーバックスにのめり込む。「本は好きだったので、小学生の頃からかなり読んでいた」といい、「その時に図書館においてあったブルーバックスは、たいてい読んだような気がします」というほどだから、その熱中ぶりがうかがわれる。

その後入学した中高一貫校では、電気部に入部と、典型的な科学少年の道を歩んだ竹内先生。それはちょうどパソコンやマイコンが世の中に出始めた頃。

「中学生と高校生が参加している電気部の夏合宿では、高校生の先輩方がトランジスタの原理などをわかりやすく講義してくれるんですよ。江崎玲於奈先生の発明された、エサキダイオードの原理まで講義してくれたような記憶があります…」

学校が西日本最大の電気街・大阪日本橋の近く。部活が終わったら、日本橋まで足を伸ばして部品を購入し、みんなでいろいろなものを作った。

とても楽しそうに子ども時代のお話を聞かせてくれた  
とても楽しそうに子ども時代のお話を聞かせてくれた  

「たとえば、音声出力用のICが売られていたんです。店のドアをあけると<いらっしゃいませ>と自動音声を流す装置で使われている部品ですね。このICを買ってきて、ボタンを押すといろいろしゃべってくれるものをつくったり、電子ルーレットを作ったり…」

実は先生の興味は電気にとどまらず、写真、天体観測と際限なく広がっていく。白黒写真の感度を上げるために、自宅でお茶碗に入れた水を電気分解して水素を取り出し、フィルムを増感したり、押し入れにこもって写真の現像をしたりといろいろなことに手を出したそうだ。

気の合う仲間に囲まれ高校生活を楽しむ中で、先生の興味は量子力学や相対性理論などの物理学にもがっていく。その背景にはブルーバックスの本の影響があるようだ。

「片山泰久先生がお書きになった、ブルーバックスの『量子力学の世界』です。プランクの写真とか、レイリーやウィーンの話とかというのを、数式を使わずにおもしろく解説してあったり、アインシュタインとボーアの論争とか量子力学をめぐる有名なエピソードがたくさん書いてあったりしましたので、本当に不思議な世界があるんだなという印象を持っていました」

無謀ともいえる「場の古典論」との格闘にはじまり、量子力学の世界に深く入り込んだ学部時代

高校卒業後は、京都大学理学部へ進学。話の弾む同級生に囲まれて、再び幸せな日々が始まった。

「学生同士が自分たちで選んだ関心のある教科書を、担当を決めて一緒に読んでいく、「自主ゼミ」という活動があります。500ページ近くある、『場の古典論』という一般相対性理論の有名な教科書を、自主ゼミですることになりました。すごく有名な本ですが、あれを1回生ばかりで読もうというのはちょっと無謀な話で……」

無謀ではあったが、とにかく読んだ。

「哲学から自然科学までいろいろなテーマの自主ゼミをするサークルに入っていました。同じサークルの4回生の先輩がチューター(指導や助言をする人)になってくださって、文章や式の1行ごとに、みんなで、ああやこうや苦心して読みました。『場の古典論』で格闘した後は、みんなでカードゲーム。とにかく楽しい思い出しか残っていません」と笑う竹内先生。

「大学2回生のときの町田茂先生の量子力学の講義では、その頃出版されたばかりのJ・J・サクライという方が書いた『現代の量子力学』で教えていただきました。非常にすばらしい講義でした。半期の最後の講義が終わった後、町田先生をご招待して、みんなで飲みに行ったように覚えています(笑)」

高校生の頃から量子論に興味をもっていたというくらいだから、大学でこの分野を本格的に学べるとなった先生の興奮ぶりが想像できる。教える側と教えられる側が量子論の不思議な世界に魅せられて意気投合する様子が目に見えるようだ。

竹内先生の話は続く。

「同じ頃、<量子もつれ>という概念に深く出会うことがありました。『量子力学論争』(フランコ・セレリ著、櫻山義夫訳、共立出版)という本が出版されたばかりで、その本には<EPRのパラドックス>とか<ベルの不等式>とか、まさに量子もつれの王道を行くような内容がまとめられていたんですね」

最初に、量子もつれの不思議な性質について検証実験が行われたのが1970年代。それを受けて、さらに実験が進展し、その先端で議論が過熱し始めた。

当時の量子論の先端の知見がまとめられた『量子力学論争』を同級生同士の自主ゼミで読むことで、竹内先生はさらに量子の世界に深く関わるようになっていった。

高温超伝導の研究を選んだはずが、量子デバイスの開発に明け暮れた修士時代

幸せな学部生活を経て、修士へ進学。当然、量子論に関わる研究に進んだのかと思いきや…。

「物理全般に興味はありましたが、大学に入学したころから相対性理論に興味があったので、最初は宇宙論の研究室を志望していたんです。物理の王道といえば素粒子論か相対性理論という時代でした」

ところが、竹内先生をはるかにしのぐ学生が宇宙論の研究室を志望するのを見て「自分は無理」と潔くあきらめ、大学院では当時話題を集めていた高温超伝導の研究室を志望することになる。

幸い希望の研究室に入った後で与えられたテーマが、実は高温超伝導とは少し異なる、「分子数層の非常に薄い有機薄膜に、超音波を入射するとどうなるか」というもの。

その内容はーー

きれいな水の上に石鹸を1滴落とすと、石鹸の分子がスーッと水の上に広がって、石鹸分子が1層だけの膜ができる。髪の毛の直径の10万分の1、コロナウイルスの直径の100分の1くらいの薄さの膜だ。それをガラスにきれいに移し取ると、ガラスの上に分子1層だけという膜ができる。これを繰り返すと、いろいろな分子が層状に重なった膜になる。

こうしてできた膜の分子の層に超音波が入射されるとどうなるかーーというものだった。

「そんな薄い分子の層を音波で見るとなると、普通のスピーカーから出る音波では無理なんです。スピーカーから出る音の波長というのは短くてもせいぜい数cmで、そんなに短くないんですね。分子の層の厚みと同じくらいのきわめて短い波長をもった超音波を出そうと思うと、極めて特殊な、超音波発生器が必要になります」

この超音波発生器の開発が、実は量子デバイスの研究そのものだった。

宇宙論の研究を諦め、代わりに高温超伝導の研究室に入ると、超音波のテーマが与えられ、それを追求する上で量子デバイスの研究が必要になった。いろいろな経緯を経て、以前から興味を育んでいた量子の研究の世界に踏み入れることになった。

修士課程の修了近く、就職活動の段になって志したのは、「量子デバイスの研究をさせて頂ける会社」。数社を回った結果、縁あって三菱電機に就職することになった。

「量子をやりたい」と入社して、なぜか「米」の研究を開始

量子デバイスの研究を志して入社した三菱電機で、竹内先生は<流動基礎研究部>という部に配属される。そこではすでに3~4の研究グループが各々のテーマに取り組んでいた。

ところが…。

「部長がおもしろい方で、企業における基礎研究について深く考えていらっしゃいました。たぶん私が『量子デバイスをやりたい』と希望していたこともあったと思うのですが、どの研究グループにも直接には属さず、部長直属になったんですね」

新入社員で部長直属。ある意味、特別待遇だが、戸惑いもきかったとのこと。そして新入社員として与えられたテーマが2つ。「量子に関する研究テーマを自分でつけて提案すること。」そしてなぜか「研修期間の1年間、米の研究をすること。」なお米の研究については、内容に制約はなく「米に関していれば、どんなことでも、どんなやり方でもいい」と言われた。

どんなことにも抵抗なく興味を示す竹内先生のこと、「なぜ自分がお米の研究?」と思いつつも、量子とは縁遠く見える「米」の研究にも好奇心旺盛に取り組んでいった。

「やるからには会社や社会のためになる研究をと考えてテーマを探しました。炊飯器で米を炊こうとすると30分ぐらいかかりますよね。だけど、米1粒というのは長さでいうと1cmないぐらい、幅でいうと数ミリぐらいじゃないですか。あれを糊化させるのになんで30分かかるんだろうと。不思議じゃないですか?」と竹内先生。

不思議に思った先生は文献を調べた。

「かなり一生懸命、調べましたよ。過去の研究の中には、炊飯器でお米を炊いているのを途中で止めて、どんなふうに米の芯が残っているかを調べたものもありました。でも、炊飯を止めて調べるまでの間に、何が起こっているか分かったものじゃありません」

「そのような研究では、米粒のなかで、実際なにが起こっているか分からない」と、竹内先生は思ったという。

「で、どうすればいいだろうと思って考える中で、NMR(核磁気共鳴)※1のイメージングを使うと、炊飯をしながら非破壊で米の中の様子が観察できるかもしれないと思いついたのです」

ただしNMRのイメージングは、当時はまだ新しい技術で、やっと医療で使われ始めたばかり。しかも観察対象は数ミリの米粒だから、人間の体を見るのとはわけが違う。

※1:NMR​(核磁気共鳴)とは、強力な磁場の中にある物質中の原子核が電磁波と相互作用する現象。これを利用することで、物質の分子構造や原子間のつながり方を調べることができる。

「調べてみると、当時日本で2台だけ、非常に小さいものを見られる最先端のNMRイメージング装置があるということがわかりました。その1台を所有する大学の先生に、このテーマに興味をもっていただくことができ、共同研究契約を結び、使わせていただけることになりました」

NMRのイメージング装置は当時でも数億円以上。その高価な装置の中で、1粒だけ米を炊く治具を作った。

「どうやって米を炊くかというのも難しくて、レーザとかいろいろ検討した結果、セラミックヒーターで加熱した空気を送り込みながら、試験管の中の米、一粒を炊飯するという装置を作りました。それをNMRの中に入れて、どういうふうに炊飯が進んでいくかというのを分析するために、特殊な磁場を照射していく専用のパルスシーケンスも、その大学の先生と共に作りました」

当初研修期間の1年の予定だったが、研究が本格化したこともあり、量子コンピュータに関する研究と平行して、のべ3年間にわたった。ところが、ここでもまた量子の研究との予想もしない接点がうまれる。

「NMRのパルスシーケンスやイメージングの原理が、まさに量子コンピュータの制御や測定そのものなんですね。だからお米の研究が、振り返ると、じつは量子コンピュータの研究にもなっていたのです」と竹内先生は笑う。

量子コンピュータの実験につながる、意外なきっかけと訪れた幸運

竹内先生が「新入社員で部長直属」になったとき、米の研究に加えてもう1つのテーマが与えられていた。それは「量子に関して君が次にやる研究テーマを自分で探しなさい。会社に貢献して、先端的であり、他社が絶対にやっていないものを」というものだった。

米の研究をしながら竹内先生は新しい研究テーマを探し始める。

「ちょうどそのころ、量子コンピュータで計算が速く行える可能性をはじめて論じた理論の論文に、幸いにも出会いました。最初、その論文を見たときはそれほどおもしろいと思えなかったのです。量子力学の式を使うと、論文に書いているようになるのは分かるけれど、逆に言うとそうなるのは当たり前のようにも感じられました。また設定した問題もあまりに特殊で、どう役立つのかも分からない、というのが率直な感想でした」

しかし、会社の先輩から、東京で量子コンピュータに関する講演があるらしいという情報を教えてもらった竹内先生。その講演で、量子コンピュータが、いまのス-パーコンピュータでも解くことができないような問題を問題を解く可能性があるとの最新情報に接することができた。最初おもしろさをあまり感じていなかった量子コンピュータが、俄然興味関心の対象となった。

実は、その量子コンピュータの論文を読んだときに、どういうふうにすれば実験的なデモンストレーションができるかという構想はすでに竹内先生の頭の中にあったそうだ。「実験家なので、理論で書かれている数式を、一旦具体的な実験装置に置き換えないと、うまく自分自身で理解できないところがあったのです。」

講演をきっかけに、「まだ実現されていない量子コンピュータを、実際に実験でやってみたら面白いんじゃないか」と思い始め、強烈に取り組みたい気持ちが高まってきた。

やりたいと思ったら止まらないタイプの竹内先生。部長に対し、「会社に貢献して、先端的であり、他社が絶対にやっていない」テーマとして、「量子コンピュータの実験」を具申する。しかし実験には、新入社員の取り組む基礎研究としては、とてつもない金額の資金が必要だった。

会社の中では難しいと思われた量子コンピュータの実験。ところが、部長から、1つだけやれる道が示された。それが新技術事業団(現JST、国立研究開発法人 科学技術振興機構)の「さきがけ研究」という制度に採択されること。しかし、その競争倍率は大きく、採択率はとても小さなものだった。

ここで竹内先生に再び幸運が降り注ぐ。先にさきがけ研究に採択されていた会社の先輩からのアドバイスなども幸いし、初めての挑戦で採択を勝ち取った。

会社員の身分で渡米。そして企業の研究者から大学の研究者へ

さきがけ研究に採択され、念願の研究をスタート。ほどなくして、JSTの理事が会社の研究所を訪問する機会があり、その視察先のひとつとして竹内先生の実験室の視察に訪れた。そこで理事から問われた。「竹内さんはここで、一人で研究をやっているんですか?」

さきがけ研究は個人研究なので、一人でやるのが当たり前だと思っていた竹内先生にしてみたら、晴天の霹靂のような質問。「はい」と答えると、「一人だけでやっているよりも、スタンフォード大学に行って、ERATO(JSTの研究プログラム)の研究統括の山本喜久先生のところに行ってきたらとの驚きの提案を受けることになった。

結果、その理事の方、またさきがけ研究の統括の先生、会社の上司、なによりERATOの山本研究統括の理解と支援のもと、会社員の身分のままスタンフォード大学に1年弱滞在。その間は、量子もつれに関する山本ERATOプロジェクトとの共同研究を、存分に進めることができた。

量子の研究をやりたいと入社して、紆余曲折を経て量子コンピュータに出会い、実験のために巨額のお金が必要となったところで、さきがけ研究という制度に救われた。そのつながりでスタンフォード大学に行くことになり、さらに量子の研究を深めることになった竹内先生。再び量子との縁を感じるエピソードだ。

さきがけ研究が終わり、量子コンピュータのアルゴリズムを実証したとして注目を集めた竹内先生。成果が新聞に掲載された日に所属する会社の株価が上がり、竹内先生も「恩返しができたのかも」と喜んだそうだ。

さきがけ研究が終わったあと、量子コンピュータよりも短期的に、培ってきた量子関連の知見を会社の事業の1つであるセキュリティ分野で生かせるとして、次に取り組んだのが「量子暗号」だった。当時はまだシステム実験が全くやられておらず、郵政省からも注目してもらった。

しかし、量子コンピュータの研究成果に注目が集まり、量子もつれや量子コンピュータといったより基礎的な研究への気持ちも強まっていた。そのような中、北海道大学から「うちに来ませんか」とお誘いを受けることになる。大学に移れば量子論の世界にさらに踏み込める、こう判断した竹内先生は、企業の研究者から大学の研究者へと転身を決意した。

<量子もつれ>が広く受け入れられる現在、アインシュタインがみたら何というだろうか

ここまで竹内先生の幼少の頃から、学生時代、会社員時代と見てきた。ここからは話題を変えて、量子論をめぐる歴史的なエピソードについて、竹内先生の見解を聞いてみよう。取り上げるのはアインシュタインと量子論。

量子論の資料を紐解くと、必ず<量子もつれ>という不思議な現象の記述に行き当たる。<量子もつれ>とは、粒子どうしに強い結びつきができる現象と言われており、一旦2つの粒子に量子もつれの関係ができると、遠く離れていても互いに関連しあい続けるという。

たとえば、目の前に時計があって、この時計の中で歯車がどう回っているかとかいうのは、ここにある、この時計の中でだけ起こっている現象、と普通は考える。ところが、1000キロ離れているところにある時計の動きが、こちらの時計の動きと互いに関連をしているというのが<量子もつれ>のイメージだ。

理論物理学者のアインシュタインは<量子もつれ>を「不気味な遠隔作用」と呼び、量子力学の不完全さを指摘した。ところが、現在では、量子の不思議な性質を活用した量子コンピュータや量子暗号が実用化されつつある。

アインシュタインにはその存在を認められなかった<量子もつれ>という現象が、現実に存在して、私たちの世界で利用され始めている。そのことを目にしたら、アインシュタインは何というだろう。竹内先生に聞いてみた。

「これはもう想像でしかないんですけど、『で、君たちはその局所性が破れているという問題については、どういう解答を得たの?』と聞くと思います」

「局所性」とは、ある現象や影響が特定の範囲でのみ発生する性質をいう。対して「非局所性」とは、遠く離れた地点で起こる現象が互いに影響を与えあっていることを言う。

「たとえば、おもちゃのカプセルがあったとして、中身がなにか分かっていなくても、中身についての情報は、全てカプセルの中に書き込まれている、含まれていると考えますよね。同じように、電子が、たとえばどういうスピンをもっているかといった情報は、この電子1個の中に書いてある、含まれている、いうことが常識だと思います。でも、実は<量子もつれ>という状況を使った実験をすると、いま言った私たちの常識では絶対説明できないことが起こってしまうんです」

つまり、<量子もつれ>という状況が起こると、私たちが常識だと思っている「局所性」は成立しなくなる。個々のものの中に全ての情報が書き込まれているという私たちの常識に反して、この宇宙はそうなってない。

親も子も全部一体だとしたら、肝心の情報はどこに書き込まれているのか

「電子の中のことは電子に書いてあります。光子の中のことは光子に書き込まれています。分からないにしても書き込まれています、というふうに考えた場合には絶対成り立つ不等式というのがあるんですね。<ベルの不等式>というのですが、それが成立しないことの検証実験を行った研究者達に対して、2022年にノーベル物理学賞が与えられました※2

※2:2022年ノーベル物理学賞は、ベルの不等式の破れを実証し量子情報科学を開拓した量子もつれ光子の実験の業績により、アラン・アスペ博士(パリ・サクレー大学およびエコール・ポリテクニーク、フランス)、ジョン・F・クラウザー博士(アメリカ)、アントン・ツァイリンガー博士(ウィーン大学、オーストリア)の三氏が受賞

 

竹内先生の話は続く。

「アインシュタインももちろん『ベルの不等式は成り立つ』と思っていたと思います。でも、それが成り立たなかった。ということは、光子の情報は、光子1個の中だけで完結していると考えることは、とてもできないということになります」

「こっちの光子とか、あっちの光子というのも合わせて全体として状態を考えないといけない。親子関係でいうと、親は親で、子は子で、別々に考えてよい、と思うじゃないですか。普通は子どものことは、子どもに聞けばわかるし、親のことは親に聞いたらわかるはずです。だけど、量子もつれの状態をたとえると、いってみれば、親と子のそれぞれにいくつか質問をして、それらの答えを照らし合わせてみると、まるで親子の間にテレパシーが存在すると思わないと理解できない、まるで親と子の全部が一体といった状態です」

全部一体だとしたら、肝心の情報はどこに書き込まれているのだろう。

「それが、分からないのです。私の量子力学の教科書でも量子もつれを説明していますが、そこでも〈分かりません〉と書いています」

局所性が破れている、つまり成立していないことはわかったけれど、我々はまだその解釈に至っていないのだ。

「その解釈について、いくつかの仮説はあります。でもいずれも奇妙な点を含んでいて、研究者の合意には至っていません」と竹内先生。

<量子もつれ>が実際に存在して、活用されているのを見たら、アインシュタインはどう考えるか、という最初の問いかけに戻ろう。

竹内先生は、「局所性が破れているのがわかったのはいいけれど、じゃあ、この世界はどうなっていると考えているの?」と逆に私たちがアインシュタインから質問されるに違いない、と考えている。つまりは、まだ量子論の謎は残っていて、私たちもアインシュタインも引き続き謎に向き合っていく必要がある。

光子1個1個を使うという発想に立つと、今までにないことができる

さて、謎に包まれた量子の世界だが、現実的には<量子もつれ>を活用したさまざまな技術がこれからも開発され、活用の道を見出していくだろう。光の分野ではどんな応用が考えられるだろうか。

「今までの光技術というのは<量子もつれ>とか、光子1個1個というのはあまりこだわらない技術だったんですね」と竹内先生。

ところが、<量子もつれ>や光子1個1個を使うという発想に立つと、世界は一変する。

「たとえば、今までは水を使うというと、水を流体と見なして、たとえば、水道の蛇口を使って、ホースで水をどう持っていくかという話になりがちでした。ところが、もう一つ、まったく別の水の使い方というのがあります。水を分子レベルで制御して使うというやり方です。たとえば、太陽光をある物質に当てて水素を発生させる<光触媒>などは、水を分子レベルで考えて初めて出てくる話です」

蛇口をひねるとジャーと出てくるだけの水も、分子レベルで自在に制御することができれば、光触媒のような別の用途を開発することができる。これと同じように光の最小単位、すなわち光子を制御することができるとしたら、どんな世界が広がるのだろう。

「光を使って、いろいろなテクノロジーでもって、今まで思っていなかったような革新が生じる可能性があると思うんですね。それは単なる可能性じゃなくて、実際に見え始めています」

その一例が、量子赤外分光。

私たちが使っているスマートフォンのカメラは非常に高感度で真っ暗なところでも写真が撮れるのだが、ただ1つだけ弱点がある。シリコンを使っているので、人間の目に見える光、つまり可視光と言われるものしか検出できない。実は、近赤外と呼ばれる人の目に見えないところの光も少し検出できるが、可視光にごく近い成分のみに限られているのだ。

赤外光で見ると、薬品の成分やプラスチックの材質など身の回りのものが何からできているかがわかる。ところが、スマホのカメラのようなシリコンの検出器はその赤外領域を見るのが得意ではなかった。

研究室の中。光子1つ1つを操り、量子もつれを発生させる実験系を見せてくれた
研究室の中。光子1つ1つを操り、量子もつれを発生させる実験系を見せてくれた

「それが<量子もつれ光>というのを上手く使ってあげると、スマホのカメラでも赤外の領域で何が起こっているかを測定することができると最近わかってきました。私たちのところからもいろいろな論文を発表していますが、今、非常に注目されている研究です。物質の透過率を測定するだけでなく、イメージングもできます」と竹内先生。

量子赤外分光と呼ばれるこの技術を使うと、非常に小さなマイクロプラスチックの材質が、ポリエチレンだとかアクリルだとか特定できる。この技術によって、現在のところ小型化が難しい赤外分光装置が、小型化、高感度化でき、医療や化学、セキュリティ、環境計測などの分野でのイノベーションが起こりうる。例えば、スマホのカメラを使って加工食品の成分などを簡単に、日常的にチェックでき、食の安全性がより高まるようになるかもしれない。

ところで、量子赤外分光は<量子もつれ光>を使っているというが、何と何がもつれているのか。

「可視の光子1つと赤外の光子1つがもつれています。光というのは、ものすごい量の光子を含んでいるんですね。たとえば人の手の平の上には、毎秒1兆個とか、10兆個とかという光子が降り注いでいるのですが、そこにある可視の光子1個が別の赤外の光子1個と結びついているという状態を作ることができるんです。不思議なんですが」と竹内先生。

可視の光子1個と赤外の光子1個を結びつけるとは、どのようにするのだろう。竹内先生の説明は続く。

「自然の物理現象を上手く使ってあげると、光子1つが2つの光子に分裂する過程というのがあるんですね。それを<パラメトリック下方変換>と呼ぶのですが、そうすると双子の光子が作れて、その双子の光子というのは<もつれ状態>なのです」

ということは、光子の<もつれ状態>というのは自然にできるということなのだろうか。

再び竹内先生。「量子もつれというのは特殊なものじゃなくて、私たちが生きているこの宇宙のなかに、かなり、ありふれているものです」

大阪・関西万博2025で<量子もつれ>のデモンストレーション

量子論や量子もつれといった不思議な現象が実は私たちの身の回りにあふれている、そのことを実際に体験できる展示が、2025年開催の大阪・関西万博で一般公開される。題して「エンタングル・モーメント」。エンタングルとは<量子もつれ>のことだ。

「量子もつれ光と聞くと『怖い光じゃないか』とか『真空のパイプの中しか伝わらないのじゃないか、強大な加速器を使わないと発生できないんじゃないか』とか誤解している人がたくさんいると思います。この展示でそうじゃないことを見せたいですね」と竹内先生。

「量子もつれ光を実際に見たことがあるという人は、量子技術の研究者でも一部しかいないと思います。それはちょっともったいないので、皆さんに見ていただきたいというのが展示の動機です」という。

展示はCGとか動画とかではなく、実際の実験装置を持ち込んで、量子もつれ光をリアルに発生させる。それだけでなく、光子と光子を半透鏡を介して「ぶつけた」時におこる、不思議な現象も実演する。

「光子と光子をぶつけると、量子力学では、その物理のプロセス間の干渉というのが起こるんですね。これは、単なる光の波の干渉とはまったく異なります。SFでよく<並行宇宙>とか<時空が干渉する>とか言いますが、それが量子力学では本当に起こります」

SFの世界で語られていることが、この宇宙で実際に起こっている。それは一体どういうことなのか。竹内先生の説明は続く。

「例えば京都から浜松に行くときには、新幹線でも行けますし、近鉄に乗って、名鉄に乗って、豊橋あたりで乗り換えてということでも行けるじゃないですか。二つの物理過程がありますよね。普通はこの二つの過程は別のものだと考えます。だけど、量子力学ではその二つが干渉して、お互いに打ち消しあったり、強めあったりするということが起こるのです」

二つの物理過程が打ち消しあったり、強め合ったりする結果、目的地の浜松に到着することもあれば、到着しないときもある。倍速で目的地に着くことさえある、という世界。一般人の常識では想像が追い付かない。

「でも、それが量子力学の世界では起こっています。だから万博で実演します」と竹内先生は楽しそうに笑って言った。

 
大阪・関西万博 エンタングル・モーメント ―[量子・海・宇宙]× 芸術
会期 2025年8月14日(木)-8月20日(水)
時間 公式ウェブサイトで確認
場所 大阪・関西万博 EXPOメッセ「WASSE」
対象 一般・小学生から大人まで 

いろいろなことに関心を持ち、自分で作ってみてほしい

インタビューの最後に当サイトの読者である小中高生へのメッセージをお願いした。

「私は小中学生の頃、本当にいろいろなことに関心をもって、そのなかで好きなことを見つけてきました。好きなことを見つけるには、まずはいろいろなことに触れることが大切です。あともう一つは本物に触れてほしいし、自分で作ってみてほしいと思います」

「YouTubeを見て分かった気になっておしまいではなく、YouTubeで見たことは自分でも手を動かしてやってみたら、もっと楽しくなります。もっといえば、ネットでは紹介されていないようなことを自分でやって、それをネットにアップできればもっと楽しいですよね。見ているだけの人にはならないでほしいですね」

「それから、気になった本を手に取ってほしい。特にブルーバックスみたいな、最先端の科学をわかりやすく教えてくれる本は、海外にはあまりないんですよ。以前アメリカのスタンフォード大学にいったとき、書店の人がうらやましがっていました。だからかなり特殊な環境を私たち日本人はエンジョイできています。雑誌の『Newton』とか、『日経サイエンス』もいいですね」

座して待つのではなく、自ら動いて体験し、いろいろなもののなかから自分の興味関心に合うものを選び取ってほしい。そして本や雑誌でその分野で知識を深めてほしい、というのが竹内先生からのメッセージだ。

 

最後に量子論に関わる本を3冊、推薦してもらった。

「アインシュタイン先生たちが『物理学はいかに作られたか』(アインシュタイン、インフェルト著、石原純訳、岩波新書)という宝石のような本を書いています。これは中高生向けを意識して書いてありますので読みやすいです。それと『量子革命』(マンジット・クマール著、青木薫訳、新潮文庫)という、アインシュタインたちが量子と格闘した時代のことから今の量子技術まで書いてある本があります。これはコスパがすごくよくて、600ページ以上あって、1000円。1ページあたり2円以下というもの。文庫本です。これはものすごくいい本です。」

そして残る1冊は――

「手前味噌なんですけど、私の『量子コンピュータ』(竹内繁樹著、講談社ブルーバックス)も、量子の不思議な性質から、量子コンピュータや量子暗号の仕組みまで分かりやすく書いているつもりですので、ぜひ(笑)」

竹内先生への量子論への熱い想いと多方面にわたる好奇心があふれんばかりのインタビュー。量子論や量子デバイスといった不思議の世界の一部が垣間見えるとともに、自分のやりたいことを素直に表現しながらも、それに固執し過ぎず、与えられたテーマに柔軟に意欲的に取り組むことの大切さも伝わってくるものだった。

インタビュー番外編

アインシュタインに聞きたいこと(おまけ)

インタビューの中に出てきたアインシュタインへの質問。実は竹内先生にはアインシュタインに問いかけたい別の質問がありました。それはーー

「アインシュタイン先生って、実は本質的に興味があったのは光なんですよね? そういう理解でよろしいですか? 」。それで「Yes」だという回答が返ってきたら「先生はどういうきっかけで光に興味をおもちになったんですか」と重ねて尋ねてみたいと。

この質問の背景を竹内先生はこんなふうに解説してくれました。「相対性理論というのは光が本当に本質的な役割を果たしていて、光の速度が一定であるということが、特殊相対性理論の根本にあるわけです。だから、あれは、実は光の理論なんですね」

さらに続けて――「アインシュタインは光量子仮説によってノーベル賞を与えられましたが、これももちろん光の理論です。彼は物理学のいろいろなことに興味をもっていて、いろいろなところにアインシュタインの法則というのは存在しているのですが、たぶん彼はそのなかでも光というものに一番関心が向いていたんだろうと私は思っているのです。だから『そうだったんですか』というのは聞いてみたいですね」